渚女通信:タツタさんが死んだ

竜田清子さんが、お亡くなりになった。
福岡を拠点にして活躍するフリーライターで、大人になったからの旅本「大人の遠足」など、作家としても活躍していた。
そう、していた。
実を言えば、まだ信じられない。


私の弟が生まれるときに母の隣のベッドにいたのがタツタさん、という縁で、幼稚園のころから兄弟共々色々と御世話になった。
彼女がライターだと知ったのは小学生のころで、でも、そのころはライターという職の意味がわからず、ただ、タツタさんの発行していた「ガッターレ通信」という猫の新聞をいつも楽しみにしていた。
思えば、私が物書きの道へ進もうとしたのも、タツタさんの影響があったのかもしれない。


そんなタツタさんは、仲間を集めて、三年前、喫茶店を始めた。
五人の仲間からつけた「ペンタグラム」という名が、私は大好きだった。
おせじにも繁盛してるとは言い難かったけど、そこには、いつも温かい空気が流れていた。
そんな「ペンタグラム」も、12月で閉店するという。


今日、そんなタツタさんを偲ぶ会が「ペンタグラム」で行われた。
授業を早引きして駆けつけた私が見たのは、店内を埋める人々だった。
こんなに多くの人と出会っていたのか、と、改めて凄さを思い知らされた。
そんな人たちの口から漏れるのは「いい人でした」「凄い人でした」というセリフ。
いい人ほど、早く逝ってしまう。それは、物語の中だけだと思っていたのに。


最近、私は妙に評価されるようになった。
嬉しいような苦しいような、そんな気分の最中に、この報せを聞いた。
殻を破るときが来た、と、頭の中で声がした。


結局、私の本はタツタさんの手には届かなかった。
でも、私は書き続ける。
沢山、腕一杯の文章を書いたら、見せに行こう。
それまで、私は死ねない。