私事:狂奇と「死」

 上記のように「死」を考えてみたが、その前に、僕は人死にのシーンを書いた。
 現代伝奇である狂奇の設定では、特殊能力者は全て「狂って」いる。
 作中のメイン登場人物はほとんどその狂奇使いであり、つまりは全員何かしらの狂気に囚われている。
 狂った人間にとっての「死」の概念は、歪んでいる。“常識人”を超える力を持つ彼らは普通に人を殺し、そして、狂奇使い同士の歪んだ殺人ゲームに興じる。
 そんな世界の中で、僕が主人公に選んだのは、狂奇使いでありながら、狂奇を否定する女、逍遥寺零。
 消えない傷を心に負った彼女は、自分を襲った狂奇使いを殺した。
 一番最初に書いた狂奇では、彼女は何の感情も抱かずに殺し、一回目の書き直しでは、人を殺した恐怖に囚われながらも、次の戦いに挑んでいく。
 そして今日、二度目の書き直しを行った狂奇では、人殺しの恐怖に押しつぶされ、気絶する。
 これば、僕の中の「死」の考え方の変わりようが影響している。
 安易に人が死ぬライトノベルや、殺人から話が始める推理小説を読んで、僕は「死」に慣れていた。それが、初稿の描写につながる。
 一度目の書き直しに影響を与えたのは、大塚英志の「キャラクター小説の作り方」だった。この本の中で大塚氏は、小説の中での「不死性」と、死の扱いの難しさを語っていた。その結果が、第二稿の描写だった。
 そして、二度目の書き直しは、テレビのニュースに影響を受けた。毎日のようにどこかで人が死んでいく。しかも、自分より若い人間が簡単に死んでいく。僕のような半死人とは違う「未来」のある人間が死んでいくニュースを見て、僕は第三稿の描写を決めた。
 そして今、僕は悩んでいる。人を殺してしまった零が、どうそれに折り合いをつけ、物語に復帰するのかが全く分らないのだ。
 数百回も自ら「死」を選ぼうと思い、結局生き続けている僕だが、もちろん「殺人」の経験はない。ない経験を書いてこその物書きだとは思うが、どうにも考えつかない。
 普通の小説なら、こんなに悩まず、数ページで復活させる所なのだが、この作品は思い入れが強すぎた。主人公の零も、自分の分身と化している節がある。
 物語のスピード感を出す為には、長くページは裂けない。しかし、短く済ますには重過ぎる。
 この問題が解決して、物語を完成させることが出来るのか。それは、僕にも分らない。