渚女通信:ごちゃごちゃ

今日は、週に一度の国語表現の授業。
先生は、僕が在籍してた演劇部の顧問もやってて顔見知りなんですけど、すごい人。
毎週、この時間が来るたびに、何かエネルギーをたたきつけられる気がする。


でも、そのせいで頭はごちゃごちゃになってしまう。
今日は、さねとうあきらの「地べたっこさま」の中に収録されてる短編「かっぱのめだま」に関する授業。同時に、期末試験の答えあわせを兼ねていた。
先生は、いつものようにエネルギッシュで、僕らに色んなものを打ちつける。
空腹なのを忘れるくらい先生の話を聞いて、帰り道、学校から家へ向かうバス停まで25分の道のりを歩きつつ、僕はそれを反芻する。夜の街には、プレイヤーに入れたFriedPrideの曲が良く似合ってた。
でも、結局、バスで家に帰るころには、考えはごちゃごちゃに混ざって、固まって、ことん、と心の中に落ちてしまう。そうなってしまうと、もう、それは使えない。
覚えてるのは、「叩き付けてやる」という、ただ、一つの思考だけ。
そう、先生の授業はいつも、人の醜さ、浅ましさを教えてくれる。その度に僕は、それを文章にして、読者にたたきつけたくなる。
でも、できない。
それは、僕の腕がそこまでになっていないからでもあり、そして、もう一つ、僕の書きたいもののためでもある。
「読者に、真実を叩き付けたい」
「読者を、面白がらせて、喜ばせたい」
その二つを一緒に書くことは、今の僕にはできない。そして、読者に真実をたたきつけるには、僕の腕は明らかに足りない。
だから、僕はひたすら、読者を楽しませることに徹しようとする。そして、読者も、痛い思いをするよりは、楽しんだほうが良いだろう。
でも、いつか。いつになるか分からないけど。
僕は、読者を楽しませながら、その奥で、心を突く、そんな話を書いてみたい。
今は、無理だけどね。